5月のドイツ日記
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あと2ヶ月(5月27日)
更新が滞りがちである。ドイツ滞在も残すところ2ヶ月あまりとなり、気持ちが帰国に傾いていることとか、海外研修中の研究作業の一つの目玉であるアンケート調査が佳境に入っていることとか、まあいろいろ理由はある。そういえば、4月にはまたまたあまり人目につかない某雑誌用に、ちょいと長目の小文を書いたりもした。草稿という扱いで、リンクしておくので、暇な人は読むべし。さてその原稿は、この4月から日本でも学校五日制が完全実施となったことをふまえて、ドイツの学校五日制関係の話題を報告するといったものである。暮らし方の基本、学校教育についての考え方の根本が違うから、比較するというのはむずかしい。うっかりすると、「ドイツはいいけど日本はダメだ」っていっているように見えてしまう。自戒自戒。しかし、そうはいっても、それでもやはり、こちらの人々は豊かに暮らしているように思えてならないのだが。
下に、サーカス小屋の興行を見た話を書いたが、どうやら5月はサーカスの季節であるらしい。どうもよく分からないのだが、そうらしいのだ。長男の小学校でも「魔法教室の日」とかいうのがあったし、近所の大きなアーケード・ショッピングモールにもサーカス一座が来て小さな興行を毎日(ただで)見せている。あれはやっぱり家族営業なんだろうか? これもどうもよくわからん。
土曜日、たまたま買い物に行ったら、冬には特設アイススケート場となっていたところに舞台ができていて、約40分の興行。トップバッターの女の子(推定12才)のフラフープ芸、続いて推定4才の女の子の柔軟芸、推定9才男の子のバランス芸、年齢不詳青年のディアブロ芸。圧巻は年齢不詳アマゾネス系美女の蛇芸。これはすごかった。このひとはさらに(定番なのか?)火吹き芸も披露し、貫禄を示した。最後はウド系スキンヘッド氏の梯子バランスジャグリング芸。蛇芸のあとではインパクトが薄まるのは仕方ないところである。
このショッピングモールは、スーパーあり、八百屋あり、洋服屋たくさんあり、レストラン・カフェたくさん、本屋あり、トイザラスあり、アジア食料品店あり、なんでもありでなかなか便利。医院も各診療科ごとにたくさんある。季節ごとの催しが盛りだくさんで、私たちのドイツ的季節感はほとんどここで調達されていると言っても過言ではない。我が家の近所には日本人は皆無、長男の学校にもサッカークラブにも日本人はいないが、それを差し引いてもこのノルトヴェスト・ツェントルムからから徒歩5分のところに住めたのはとても幸運であった(家賃はもう言いたくないくらい高いんだが)。
そんなこんなであと2ヶ月である。
サーカスの馬(5月15日)
そのテントをみたときから僕の頭を離れなかったのは、もう遠い昔に(たぶん高校の教科書で)読んだ安岡章太郎の『サーカスの馬』だった。たしか靖国神社の境内で(ちがうかも)、少年は背中の曲がった老いぼれた馬をみる。きっといま来ている移動サーカスの馬だ。でも落ちこぼれで役立たずなんだ、僕と同じように。少年はそう思って、その馬に親近感を持つんだけど、実はその馬こそはこの移動サーカスの花形だった...
今は全然さえない僕だって、あの馬のように輝くことが出来るかもしれない、自分をあきらめちゃいけない、なんていうことに少年は気づくらしいのだが、僕はどうもこの話が好きになれなかった記憶がある。いまは確信を持って、この話は嫌い。
というわけで、先日、近くの芝生広場に来ていた移動サーカスを見に行った。何台ものトレーラーハウスに囲まれた中心に直径15メートルほどのテント小屋。中には直径8メートルほどの空間をのこして見物客用の椅子が並ぶ、といういかにもそれらしい造りなのだ。日本ではもはやこういう形式の興行を見ることは難しいのではないかと思うが、ドイツではまだまだバリバリやっている。そんなところも不思議ではある。
公演最終日だったせいか、入場料は一律7オイロ(約800円)、全席自由(って、あたりまえか)。その中身は、僕らを奇妙にレトロな世界に誘う、哀愁と郷愁に満ちたものだった。まずは看板娘(推定年齢40歳)の綱渡りから。地上1メートル、長さ7メートルほどのワイヤをわたるのだが、推定体重80キロの元サーカス系美女の演技に、拍手するべきか否か、僕には判断が付かなかった。このとき僕の脳裏に浮かんでいたのは以前ジャンプに連載されていた「ジャングルの王者ターちゃん」であった。さて終わると馬&子馬のギャロップ。ほとんどただギャロップするのみ。これでいいのか? そして再び元サーカス系美女のお盆バランス芸(詳細略)。その旦那とおぼしき切符もぎりをしていたおっさんの「あごバランス芸」(詳細略)。ドイツ語のサーカスは日本語になっているあのサーカスとは意味が違うのだろうか?と混乱しまくる僕らの混乱を一掃してくれたのは、いかにも家族経営風なこのサーカス一座の中のほとんど明らかに他人である一座のスターによる「火吹き芸」であった。口に含んだアルコール(酒臭かったからたぶんウォッカか。純粋アルコールは無臭だからね)を吹いてヒトカゲのように炎をはくのだ。あまりの熱気に泣き出し逃げる子ども数名。
馬&子馬のギャロップの他に、ラクダ&ラマ&ヤクの行進もあった。このラクダ、何か芸をするのかなあと期待させておいて、なにもせず。ただ歩くのみ。子馬くんが唯一やった芸は、高さ30センチほどの台に両足を乗せるのみ。そりゃ芸なのかい?馬さんも、横たわるっていう芸をしていたが、やはりそれは芸なのかなんなのかわからんぞ。ピエロ役の人と、生真面目団長さん風の人の掛け合い漫才のようなものもあったのだが、それがいまひとつだったのは僕のドイツ語能力がいまひとつなせいだろう。
さてさて、公演が終了して僕は不満足だったのかっていうとそうではない。満足。こういうサーカス一座があってもいいよね。何にもできない動物たち、大したことのできない(失礼!)団員たち、それでもひとときの楽しみを人々に与えて町から町へ移っていくサーカス。こんなサーカスこそ、安岡少年をほんとうに励ますことになるんじゃないかなと思うのだ。人々を励ますのは、花形らしくなくて花形である人なのではなく、花形らしくなくて、やっぱり花形でない人の方じゃないかなと。ちょいと難しいかな。サーカスくらい、屁理屈こねないで楽しめよ、と。そりゃお説ごもっとも。ここらで退散いたしましょう。本日最後の出し物はこちら。
父母会(5月1日)
先々週、今週と自由ヴァルドルフ学校の父母会があった。父母会はいつも通り、夜の8時に始まる。この始まりの遅さにまずは驚くわけだが、そういうものなのだ。終わるのは10時頃。みんな学校のそばに住んでいるというわけでもないのだが、そういうものなのだ。
自由ヴァルドルフ学校の重要な特徴の一つが「8年一貫担任制」。6歳で入学したときから8年間、クラス担任はずっと持ち上がりでクラス替えもない。自由ヴァルドルフ学校の先生は、だから、その教員生活を通じて多くても4クラス分くらいの生徒、合計120人あまりしか担当しないことになる。それは近代的な職業生活と言うよりは前近代的な人間関係に近いと言えるだろう。
そうはいっても先生も人間なので、病気にもなればけがもする。わが長女の担任の先生は昨年の12月頃から3ヶ月ほどお休みになってしまい、その間クラス担任を持っていない別の先生が代理でクラスの面倒をみていた。先生は先日来復帰してきたのだが、結局第8学年にはいるときから担任を交替されることになったそうだ。先々週の父母会の話題はこの決定の報告だった。8年一貫担任制はこうした人間的要素に対して抵抗力がない、つまり様々な個人的事情で8年間を全うできないことも大いにあり得る。制度合理的に考えれば「もろい」と言えるかもしれないけれど、自由ヴァルドルフ学校の人々はそうしたことも含めて人間の人生のあり方として受け止めるんだろうな、と考えたりする
今週の父母会の話題はクラス旅行。5泊6日でかなり遠いところにある湖周辺へ「カヌー旅行」に行くのだ。バスでそこまで行き、あとはひたすらカヌーをこぎ、自炊し、寝袋で寝るらしい。初日と最終日を除いても、まる4日間もあるぞ。湖周辺を転々とするらしいが、詳細はわからない。もちろんそれなりの施設とスタッフのいる国立公園のようなところであるらしいのだが、それにしてもすごいよね。こんなのが毎年あるらしい。しかも、長女の7年生は2クラスあるのだが、クラスごとに別々の企画で別々の旅行に行くようなのだ。日本では、いずれにしても考えられない。時計と携帯電話は持たせないでください、とか言っていたのが笑えた。CDラジカセは?と質問が出て、バスに乗っている間はいいことにしましょうか、とか言っていたのも笑えた。費用は200オイロ、約24000円。この話が出たのが4月で、早めに振り込んで下さいね、とかいった感じの一括集金なのだ。5泊6日の日程に照らすと安いと言うべきだし、我が家的には払うのに不自由はない(ウォウ!)。しかしこれも日本の公立校だと微妙な問題になるだろう。自由ヴァルドルフ学校は中流以上の坊ちゃん嬢ちゃんの学校だと思われるのも、決して理由のないことではないわけで。
もうひとつ。父母会の冒頭、英語の先生から最近の授業の様子についてお話があって、「そろそろ英語の辞書を自宅に持ってもいい時期だと思います」ってなことを言っていた。自由ヴァルドルフ学校では小学校1年生の時から英語をやっている(はず)。でも辞書は使わないんだ。必要に応じて先生が単語の意味は言ってくれるらしいのだが、そういう教え方って、私たちにはやはり不思議に思える。外国語を学ぶこと=辞書を買うこと、っていうふうに思っている私のような人間が多いうちは、日本人は英語使いにはなれないな。
さて、私たちはしばしば学校を「準備」と考える。学校後の人生のための準備。だから、いろいろなことに耐えなければならない。特別なルールを守らなければならない。本来あるべき人間らしい生活が送れなくても仕方ない、今は準備の時期だから。でも自由ヴァルドルフ学校に集まる人々は、子ども時代もその時間をそれとして意味のあるものとして生きなければいけないと思っているのかもしれないな、と思う。もちろん未来への備えをしないというわけではないんだけれど、大学へ行くとしても行かないとしても、将来どんな職業に就くにしても、そのために「今」が犠牲になってはいけない、と。私自身の自由ヴァルドルフ学校に対する個人的な評価はちょっと微妙なのだが、それは一つにはこの点に関係している(もうひとつ、上述のような階層性の問題も大きく関係する)。「今」をよく生きることはとても大切なんだけれど、「今」をよく生きることが「未来」への備えと両立しないことは大いにあり得ることで、「未来」への備えに打ち込むことは必然的に「今」をよく生きることになるのだ、と言い切ることは出来ないと思うのだ。今回はちょっと生真面目に書いてみたのだ。
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