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ドイツからの便り1(2001年秋)

はじめに

 二〇〇一年夏から一年間、ドイツ・フランクフルトにて海外研修をする機会を得て、あわせて本誌に「ドイツからの便り」を寄稿する機会を与えられました。私自身の研究課題はドイツの学校運営の「自律性」を具体的な日常の中で調べることですが、この「便り」では多くの学校を訪ねる中で見聞する現代ドイツの中等教育事情を幅広くお伝えしていきたいと思います。

ドイツの中等教育制度―受験のない分岐型

 ドイツの学校制度は、共通の初等教育の上にタイプの異なる中等教育の学校を置く分岐型です。小学校は4年制(州により6年制)で、通学区内の学校へ就学します。小学校を修了すると、基本的に親の意思に応じて、中等学校を選択して進学することになります。主な中等教育機関は、第五学年から第十三学年まで続く、大学進学の資格を取得できる学校(ギムナジウム)、第十学年まで続く、職業との関連を重視したカリキュラムを持つ学校(レアル・シューレ=実科学校)、そして第九学年まで続く、今日では「残り物の学校」と揶揄されることの多い一般的中等教育の学校(ハウプト・シューレ=基幹学校)です。そのほかに、こうした枠を取り払って三つのタイプを統合した形の総合制学校と呼ばれる学校があります。ここでは革新的な教育理念の下に大学進学を含めて多様な進路を保障することが目指されています。

 ギムナジウムの修了試験(アビトゥア)に合格するとドイツ国内の好きな大学・学部へ進学できるという原則は、進学希望者の増加に伴って多少の調整が図られてはいるものの、今日でも基本的に崩れていません。この原則があるために、ギムナジウムには日本のような進学実績に基づく序列も、入学希望者を選別するための入試もありません。

 実科学校や基幹学校を修了した生徒は、定時制の職業教育学校へ通いながら一定の職業訓練を実地に受けることになります。数年間にわたるその職業訓練を修了しなければ、正規に雇用されることができない仕組みになっています。近年では、実科学校修了後にギムナジウムへ編入して大学へ進む、あるいはギムナジウム修了後に大学へ進まずに職業訓練に入る、など進路パターンの柔軟化が進んでいると言われます。

 ドイツの義務修学年限は、州により例外もありますが、九年間です。しかし今日では実科学校修了(つまり満十年間)以上が職業生活にとって最低限必要な資格水準と考えられているようです。そのため、基幹学校への進学希望者は減少しつづけており、実際、家庭的・社会的・経済的そして能力的にさまざまなハンデキャップを背負った生徒が進学するケースが多く、そのことがますます基幹学校の教育を困難にするという状況があります。

 日本の制度に比べると複雑に見えるかもしれませんが、こうしたドイツの中等学校制度の特徴は簡単にまとめれば「受験のない分岐型」と表現できると思います。中等学校のタイプを選択する十歳ないし十二歳の時点で確かに将来の進路はある程度制限されてしまいますが、ここにはすべての子どもたちを細かく序列化する仕組みは存在しません。こうした制度の背景には、なにも無理に大学を出なくとも、職業訓練を経て職につくことで充実した社会資本の中での「豊かな暮らし」が実現可能だったドイツ社会の基本的強さがあるように思われます。

 とはいえ、ドイツ社会も大きな変動の時代を迎えています。離婚、非婚等の理由による単親家庭の増加などは学校の存立基盤である地域社会を動揺させています。若年失業も問題となっています。ドイツ語を母語としない生徒も、特に都市部では相当数います。

 たとえばいま私が滞在しているフランクフルトでは、小学校に入学してくる家庭のほぼ三分の一は両親がそろっていないといわれています。こうした状況では、家庭の協力を必要とするプロジェクトは組みたくても組めないと、ある校長先生は語ってくれました。半数以上の生徒が非ドイツ語家庭の出身である学校もあるようです。ギムナジウム志向が高まる中で、不利な条件を抱えた生徒が中等学校進学の時点で基幹学校へ集まる傾向はきわめて強く、「受験のない分岐型」も決して理想郷ではありえません。

異動のない教員、公募制の管理職

 教員の勤務条件について日本とドイツを比べた場合のもっとも大きな相違点の一つとして、ドイツには原則として定期的な異動がないという点をあげることができます。本人が特に希望する場合には異動は可能ですが、あまり一般的でないようです。私がインタビューした校長先生の例でも、最初に正規の教員として任用された学校で二十年以上過ごして校長代理(日本の教頭に相当する職位)まで務めて、校長になるときに初めて他校へ転じるというケースも珍しくありません。中にはそのまま校長に補され、生涯その学校で務め続けるというケースもあるようです。

 転出を希望する教員が少なければ、それはその学校での教育活動に対する教員個々人の満足度が高いことを意味する、と言われています。たとえば障害児との統合教育や教科横断型の授業の導入に積極的なある総合制学校では、どうしてもそういった学校の理念に賛同して協力的な教育活動を進めていけないと思う教員は自然と数年後には転出していくものだ、といった話を聞きました。すべての教員スタッフと話し合いを通じて学校固有の教育理念を作り上げ、また日々生じてくる問題を共有して一緒に解決の方向を探ることは、校長にとって最も重要な職務となっています。また校長も一人の「教員」として授業を担当することが義務づけられていることも興味深く思われます。

 公立学校の管理職はすべて公募の手続きを経て選任されます。たとえば私のいるヘッセン州では、文部省の出す月間の広報誌に補充を必要とするすべての管理職ポストが公示されています。管理職を希望する者は、この公示をみて応募することになります。一般には現任校での勤務成績のほかに学校内外での研修の蓄積などが審査にあたって考慮されるようです。この選任の過程にはその学校の教員代表も加わります。つまり抽象的に「校長職」を選考しているのではなく、具体的に「この学校の校長としてふさわしい人物」が選考される仕組みになっています。最終的な選任権は国の機関である学務局が持っていますが、何十倍もの倍率の中から選任される校長が学校づくりにかける熱意は相当強いものとなるように思われます。もちろん校長は基本的に異動することがありません。

 なお公示されている管理職ポストは現時点で空席のもので、応募から選任、任用の手続きの間も空席のままになります。時には数年間も校長ポストが空席となることもあるらしく、私が訪れたある学校では「いま抱えているプロジェクトが落ち着くまでは新しい校長を迎えたくないからわざと選任手続きを遅らせているんですよ」と校長代理の先生が語ってくれました。これもまた、私たちの感覚からすると、少々信じがたいことかもしれません。(以上)